愛媛県 姫坂神社 「姫の宮」と称えて大古から日吉の里、姫の宮(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、醍醐天皇の延喜の制に式内社列格の栄に浴し、皇室より久しく特別の待遇に預かり、国司・守護職・領主をはじめ庶民の信仰を集めた、また日吉郷(市制施行当時の今治市)の一の宮であった。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 加茂神社 愛媛県今治市菊間町に鎮座し、菊間駅東1キロの地点で、菊間町の大部分が氏子区域である。御祭神は賀茂別雷命、賀茂建角見命、闇淤迦美命、大山咋命(京都の上賀茂神社、下賀茂神社、貴布祢神社、松尾大社の御祭神)四柱を祀り、境内には菅原道真公、及び天穂日命を祀る天神社がある。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 高知八幡神社 往古は井河八幡と称して、三代実録によれば、元慶8年11月17日伊予国井河神従五位下を授くとある。その後、康平6年9月源頼義が伊予守となり河内八幡と称して崇敬し、霊剣を奉納した。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 伊曽乃神社 第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 湊三嶋大明神社 往古、湊山に鎮座し、御津大明神とも湊大明神とも称しました。聖武天皇神亀5年(728) 8月勅詔によって国司小千宿弥玉興、玉純父子が、伊予九十四郷に一社宛、大三島大明神を勧請のとき、此の湊山に勧請し、本郷一宮と称えました。文治2年(1186) 河野四郎通信が湊山に築城のとき、当社を山の南麓に奉遷しました。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 多賀神社 寛永5年に、蒲生忠知(がもうただちか)公が、松山城主として着任された時、蒲生氏の氏神(滋賀県多賀町、元官幣大社・多賀大社) として、旧温泉郡藤原村(現在の末広町)に鎮座。以来、平成20年に鎮座380年を迎えました。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 八幡神社 創建は聖武天皇の御代、天平年中(729~749年)と伝えられています。伊予の国喜多の郡矢野の郷なる「矢野の神山」(神社古文書では出石寺山であろうとしている)に鎮座されていらっしゃったのを、鎌倉時代に現在の地にお遷ししたといわれています。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 大蔵山三島神社 承平中(931~938)伊予の押領使である越智好方は、国司から海賊と化した藤原純友征討を期に、大三島大山祗神社より「大山積大神」を神船にて明浜町俵津を経由、宇和郷の中心地大蔵山山麓神領に勧請し大蔵山三島神社と号した。 2025.02.07 四国地方愛媛県
愛媛県 多賀神社 神功皇后摂政18年(269年)三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って、当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと、海辺に茂る藤の木を、本未打ち断ちて海中に投げ入れれば坂島(宇和島)の郷那多に着いた。よって、此処に宮居を営み、藤住吉太神宮と称したという。 2025.02.07 四国地方愛媛県