中国地方

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琴崎八幡宮

貞観元(859)年 僧の行教が御舟で大分県宇佐八幡宮 (現:宇佐神宮)より御分霊を京都石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうに御勧請の際、海上の時化のため、宇部郷琴芝の浦に寄航し、御分霊をこの地に留めました。里人は御神徳を景仰して琴芝村八王子に祠を建立し、霜降城しもふりじょう城主厚東ことう氏からも城南の鎮守として代々尊崇されました。
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長門國一宮住吉神社

「長門国一の宮」として知られるわが国有数の神社で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社とともに、「日本三大住吉」のひとつです。全国でも珍しい九間社流造の本殿は、応安3年(1370)に大内弘世が造進したもので、室町初期の社寺建築として特異な様式をもち、国宝に指定されています。
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防府天満宮

防府天満宮は日本で最初に創建された天神さまです。道真公は、九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に御着船になり、「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。) と願い九州へと旅立たれました。
広島県

広島東照宮

広島東照宮は徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648年)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。
広島県

饒津神社

宝永3年(1706年)綱長公(浅野家第6代・芸州浅野家藩主第4代)の時に、広島城の艮(うしとら/東北鬼門)の方位に当る明星院客殿西方に長政公の位牌堂を建立。さらに長政公200回御忌に当る文化7年(1810年)に斎賢(なりかた)公(浅野家第10代)、前藩主重晟(しげあきら)公(浅野家9代)と共に新たに壮麗な位牌堂を建立した。
広島県

住吉神社

享保18年に(1733)勧請されました。江戸時代、浅野藩の船の守護神として信仰されました。 夏祭(旧暦6月14日・15日)は広島三大祭の一つで夏の風物詩として知られております。御社殿は平成8年に竣工されました。航海安全、交通安全、和歌の神、学問学芸成就、縁結びなど様々な御利益がございます。
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宇佐大元神社

宇佐大元神社うさおおもとじんじゃ住所〒731-3412広島県安芸太田町大字坪野1396電話番号FAXHP由緒・由来詳細MAP
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地御前神社

地御前神社じごぜんじんじゃ住所〒738-0042広島県廿日市市地御前5丁目17電話番号0829-36-0795FAXHP由緒・由来詳細MAP
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草戸稲荷神社

平城天皇の御代、大同2年(807)明王院の開基空海上人が同寺の鎮守として斎き祀ったものと伝えられ地方数少ない古社である。社殿は古くは芦田川の中州に鎮座されたが、しばしばの洪水の厄により社殿が流失破損した。
広島県

三原八幡宮

1504年、大内氏・尼子氏の戦禍の煽りを受けて本殿・宝庫を焼失しました。 同時に社記も焼失したため創建年代は不明となっています。 西町・西野一帯の総氏神として建立されたと伝えられ、1573年、小早川隆景公によって現在の地に移されました。
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