中国地方

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亀山八幡宮

亀山八幡宮は、下関市の中心地に祀られています。御祭神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仁徳天皇。平安時代・貞観元年(859)に宇佐八幡宮から勧請されました。「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれている亀山八幡宮がある地は、古くは島でありました。
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花岡八幡宮

御祭神は、誉田別尊(応神天皇)姫大神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)息長足姫命(神功皇后)の三座五柱で、第四十三代元明天皇の和銅二年(709年)豊前国宇佐より八幡宮の御分霊を勧請されたと伝えられております。御鎮座の折、御神託により一夜にして全山花に覆われた為、花岡を称すると言われています。
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二所山田神社

当社は明治四十年(一九〇七)に、二所神社(旧二所大明神)と山田神社(旧山田権前)を合祀して、社号を二所山田神社(ニショヤマダジンジャ)と改めました。二所神社は、出雲大社の神々を歓請したものと伝えられ、山田神社は、伊勢神宮の神々を歓請したものといわれています。
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厳島神社

平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として戦中に祀っていましたが、壇之浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったのに始まるといわれています。境内には慶応2年(1866)小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓が保管されています。
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赤間神宮

今から800年昔のこと、寿永4年(1185)3月24日、源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いがこの海峡で行われました。源氏の船は三千余艘、平家の船は千余艘。源氏の勢は重なれば、平家の勢は落ちぞゆく。奮戦空しく栄華を誇った平家も遂に敗北し、武将や女官達は海に身を投じました。
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白崎八幡宮

白崎八幡宮は、鎌倉中期建長2年(1250年)、時の領主、清縄左衛門尉源良兼が遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することを知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神として今津琵琶首に創建奉斎したのが始まりです。
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松陰神社

松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身であります。
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玉祖神社

玉祖神社たまのおやじんじゃ住所〒747-0065山口県防府市大字大崎1690電話番号0835-21-3915FAXHP由緒・由来詳細MAP
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祐綏神社

祐綏神社ゆうすいじんじゃ住所〒745-0851山口県周南市徳山5854-7電話番号0834-21-4118FAXHP由緒・由来詳細MAP
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遠石八幡宮

推古天皇30年(622)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(708)この地に社殿を造営したのを創建とします。平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、 本朝四所八幡の一つとも称されました。
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