中国地方

鳥取県

勝田神社

古くは弓ヶ浜外江村に御鎮座あり、その後当村より東方に新屋村という地に移し奉り貞観より文安の頃までこの地に後鎮座あり、その後米子の地勝田山(現在県立米子東高等学校野球場横)に移し奉り天文二十二年癸丑年(一五五三年)今の社地に御鎮座となる。
鳥取県

賀茂神社天満宮

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
鳥取県

白兎神社

「古事記」に「此稲羽之素兎者也、於今者謂兎神也」と記されている由緒歴然とした古社である。 往古兵乱に遭い社殿を焼失衰微すること久しかったが、慶長年中(1596~1615年)鹿野城主亀井武蔵守茲矩が奇瑞の夢によって社殿を再興し、社領20石2斗を寄進している。
鳥取県

大神山神社

大神山とは神社が鎮座する「大山(だいせん)」の古い呼び名です。大山が文献に登場する最初の書物は、八世紀(奈良時代)前半に編纂された「出雲国風土記」で、国引きの条の中に「國に固堅め立てし加志は、伯耆国なる大神岳是なり」と国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭として、伯耆国の「大神岳(火神岳)」として出てきます。
鳥取県

倉田八幡宮

創立年代は不明であるが、社蔵由緒書きによると、石清水八幡宮を勧請したと伝え、かっては社領が1,100石余あったという。中世には石清水八幡宮領の滝房庄が当地一帯に成立していたと推定され、同庄のことは、承元2年(1208)を初見とする(「石清水文書」)。
鳥取県

倭文神社

安産の神として崇敬されている当神社は、伯耆国の一ノ宮です。創立年代は不詳ですが、社伝によれば大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去されるまで安産の指導に努力され、農業開発、医薬の普及にも尽くされたと伝えられております。
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宇倍神社

宇倍神社は、孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられ、平安時代にまとめられた延喜式(※1)では鳥取県で唯一の名神大社(※2)、また一の宮として信仰を集め、明治4年に定められた制度により国幣中社(※3)に列せられました。
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金持神社

「金持」と言う縁起の良い地名は、全国を探してもここ日野町にしかありません。かつて、この地は昔人が「黄金にもまさる」と大切にした鉄の産地でした。狩山(アサカリ)、野谷山(ノダニ)、平畠山(ヒラバタケ)と言う三つの鉄山があり、これらの鉄山を持つ村と言う意味で「かなもち」と言い、それが略されて「かもち」となったと言われています。
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