鳥取県 意上奴神社 『延喜式』神名帳(927)に「意上奴神社」と記されている式内小社である。古く七社大明神とも称し、祢宜谷、香取、紙子谷、広岡、舟木、海蔵寺、桂木等7か村の総社であったが、後年、香取、紙子谷2村の氏神となった。社記に文徳天皇仁寿年中(851~54)正六位上を授けられ、奉幣使2回遣わされ、更に醍醐天皇延喜5年(905)と後一条天皇万寿3年(1024)にも奉幣使を遣わされるなど、国中に異変あるときは国主が必ず参拝したとある。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 出雲大社鳥取分院 出雲大社鳥取分院いずもたいしゃとっとりぶんいん住所〒680-0036鳥取県鳥取市川端2丁目209電話番号0857-22-4386FAX0857-22-4393HP由緒・由来詳細MAP 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 楽楽福神社 創立年代不詳。近世まで樂樂福大明神と称し、口日野の大社 として崇敬された。社伝によると戦国期の社領は80石とも伝えられる。 慶長6年(1601)中村伯耆守寄進の社領は13石。(横田内膳正村 詮の證文)寛文10年(1633)藩主池田氏寄進の社領は6石2斗4升6合である。当村大日如来堂の仏像はもと当社神宮寺(三帝山孝霊院 ―元禄期に滅亡)の本尊と伝えられる。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 加知彌神社 『延喜式』神名帳(927)には加知彌神社と記載されるが、近世まで勝宿大明神と称した。創立年代は不詳であるが、旧社地は宮谷或いは明神鼻にあったという。現社地の旧称は飯田の森と称し祀職の住んだ地であった。移転の年代は不詳である。寺内集落の薬師堂付近で奈良時代後期の遺瓦や塔の礎石が発見されており、勝宿大明神の別当寺宝照寺の旧跡と云われる。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 䖝井神社 『三代実録』巻44元慶7年(883)12月の条に「因幡国正六位上虫井神従五位下」と記されている国史現在社である。当社の東は古くより虫井谷と呼ばれている。『因幡誌』は、往古、夷住山に三神が降臨したという伝承があることと、『伊福部氏系図』の中に「武牟口命と云あり。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 茂宇気神社 創立起源は不明。往古より河内地区の氏神であり、妙見大権現と称した。明応年中(1492~1501)と思われる棟札が現存する。寛文7年(1667)、藩主池田家より社領6斗を寄進され、元禄15年(1703)、天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改称した。明治初年、茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)、稲荷神(倉稲魂命)、境内末社稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀した。 2025.02.01 中国地方鳥取県
鳥取県 河野神社 大正5年9月に、現社地に本殿、幣殿、拝殿を建立し、三吉字山田の村社廣嶺神社(須佐之男命外一神)、三吉字十日市の村社宮國神社(忍穂耳命)、三吉字大坪の村社檜神社(彦火火出見尊外二神)、慶所字宮ノ尾の村社聖神社(忍穂耳命)の四神社を移転合祀して河野神社を創立した。山田、大坪、十日市、駅前、慶所部落の氏神である。 2025.01.31 中国地方鳥取県
鳥取県 聖神社 創立年月は不詳。往古より聖大明神と称した。宝永7年(1710)8月、本殿(4尺四方)を再建している。 神幸祭は安永6年(1776)より始まる。 寛政年中(1790~)に本殿(8尺四方)を建立。 文化10年(1813)5月に拝殿を造替したのが現社殿である。 2025.01.31 中国地方鳥取県