中部地方

富山県

諏訪神社

昔この地方は信州地方との交易が盛んで魚津の諏訪浜には信濃國諏訪本宮に豊漁を願って御 (初魚)を奉納する習慣があり、神社は同大社から分霊をこの地に奉斎された。やがて越の大社となり諏訪の神垣の杜と栄えたが北海の波涛荒く社地は遥か沖合いとなり天正年間魚津城主河田豊前守が社殿を再建したが、また連年の猛波の為社壇破壊した。
富山県

放生津八幡宮

嘉祥元年(848)8月に記された当宮の由緒を要約すると、「天平18年、越中国守、大伴家持が奈呉の浦を遊船中、にわかに風が強くなり、波濤高く船の舷に激しくうちつけた。家持は、掌で潮水を掬い、両手を合わせてひたすらに宇佐八幡神に祈願した。すると、たちまち順風に変わり、無事国府に帰ることができた。そこで、家持は、天平19年8月に、本殿、拝殿、七堂伽藍を建立し、宇佐八幡神を勧請した。・・・」というもの。
富山県

雄山神社中宮祈願殿

雄山神社中宮祈願殿おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん住所〒930-1368富山県中新川郡立山町芦峅寺二番地電話番号076-482-1545FAXHP由緒・由来詳細MAP
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気多神社

古の頃、出雲の國と高志の國は海流に乗り交流していました。出雲の民が能登に渡り半島沿いに来てこの地に住み着き、氣多の神を祀る小祠を建てたと云われています。
富山県

射水神社

射水神社はもともと、霊山である二上山そのものを祀る社であったと考えられています。古記録に、当社のご祭神は「二上神」と記されており、神仏混淆(しんぶつこんこう)が主流だった江戸時代までは、「二上山大権現(ふたがみやまだいごんげん)」として人々に崇敬されてきました。
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伏木神社

当社の御鎮座は社伝によれば、奈良時代・聖武天皇の御代、天平4年(732年)9月に海岸に奇端があったので、神明宮として伊勢神宮から布師浦(ふしうら)の蔵ヶ浜(ぞうがはま)(今の石油基地の沖合い辺り)に勧請され、海岸鎮護・住民の守護神として創祀されました。
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杉原神社

杉原神社の由緒に関しては諸説あり、古くは崇神十年創立とありますから、西暦で言えば紀元前八八年となります。新しいものでも天平五年とあるので西暦七三四年の創立となり、少なくとも一三〇〇年の歴史を持つ古社で、延喜式神名帳(えんぎしきじんみようちよう)(西暦九二七年)にその名が記されている「延喜式内社(えんぎしきないしや)」であります。
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日枝神社

安土桃山時代 織田信長は佐々成政に越中国をあたえ、富山に入った佐々成政はあつく崇敬しました。その後富山城に入城した加賀藩二代藩主前田利長は現在の場所に境内地を寄進、社殿を造営するとともに、「日枝神社は富山の総産土神である」とし、以後前田家代々からあつく崇敬されました。
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高瀬神社

御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。社伝に御祭神が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
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富山県護国神社

この磯部の地は、慶長三年、佐々成政が別園を築き、休憩所を建てたと云はれ、遥か東南に御鎮座されてゐた樫葉神明社にたびたび参拝されたと云ふ由緒ある所ですが、ここに明治四十五年九月二十五日、富山縣會に於て、富山縣指令社第七三六号に依つて「富山縣招魂社」として創立認可され、時の縣知事濱田恒之助が建設委員長となり、翌大正二年八月、神明造の本殿、拜殿、神饌所手水舎等の竣工をみて御鎮座されたものです。