中部地方 福井県護国神社 昭和14年の内務省令を受け、明治維新の志士・橋本景岳(左内)先生をはじめとする、郷土福井県ゆかりの戦没者の御霊をおまつりする為に、昭和16年3月に創建されました。明治維新以来、日清・日露の両戦役から大東亜戦争に至る3万2千余柱の英霊を護国の大神様、平和の大神様としておまつり申し上げています。 2024.12.18 中部地方福井県
中部地方 氣比神宮 伊奢沙別命は、笥飯大神(けひのおおかみ)、御食津大神とも称し、2千有余年、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承され今に神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を留めている。上古より北陸道総鎮守と仰がれ、海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳、霊験著しく鎮座されている。 2024.12.18 中部地方福井県
中部地方 金崎宮 延元元年(1336年)5月、九州で再挙した足利尊氏が京都に攻め寄せると、後醍醐天皇はこれを比叡山に避けられた が、同年10月に至って一旦尊氏の請を容れられ、京都に還幸されることになり、その際天皇は別に新田義貞(にったよしさだ)に命じ、尊良親王・恒良親王を 奉じて北陸道の鎮撫、官軍再興のために下向せしめられた。 2024.12.18 中部地方福井県
中部地方 須須神社 当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 金剱宮 古代出雲文化が早く海岸線を経て能登地方に及んだのに対し、この地方は大和文化の拠点であるばかりでなく、総じて県内では最も古い文化の発祥地であるから神社の由緒でも有名なことがらを数多く残している。中世以来白山七社の一に数えられ、そのうち白山本宮・三宮・岩本とともに本宮四社といわれていた。 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 久麻加夫都阿良加志比古神社 当社は久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社、一般的には『おくまかぶと』の称で親しまれ古来より氏子・崇敬者らに親しまれております。御祭神は、久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこの)神・都奴加阿良斯止(つぬがあらしとの)神の二柱の神をお祀りしてあります。 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 金沢神社 加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、学問の神であり前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を御創建になった。 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 石川護国神社 明治元年の戊辰の役において加賀藩の108名が戦死し、明治3年、卯辰山に招魂社が造営され、その戦没者のみたまを祀ったのが創まりです。以来、西南の役、日清日露の両戦役、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争までの英霊、44,929柱を合わせ祀ってあります。(第九師団管下の富山・福井・岐阜・滋賀県出身の英霊約14,000柱を含む) 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 小松天満宮 加賀藩三代藩主前田利常公が小松城に穩居された時に、前田氏の氏神である北野天神を城北に当るこの地に社殿を造営して鎭祭されたのが小松天満宮です(明暦3年・1657)。東は靈峰白山を望み西は安宅の海岸に続く梯川の畔にあって今も厳かな風致を保っています。 2024.12.18 中部地方石川県
中部地方 白山比咩神社 崇神天皇(すじんてんのう)7年(前91)、本宮の北にある標高178mの舟岡山(白山市八幡町)に神地を定めたのが創建と伝わります。応神天皇(おうじんてんのう)28年(297)には手取川の河畔「十八講河原」へ遷り(うつり)ましたが、氾濫のためしばしば社地が崩壊するので、霊亀2年(716)に手取川沿いの「安久濤の森」に遷座しました。 2024.12.18 中部地方石川県