千葉県

関東地方

白幡天神社

白幡天神社は市川菅野の郷の最も地形の高いところに、氏神様として静かに御鎮座されております。当神社の境内はおよそ2,000坪、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、繁雑な生活に忙殺される現代人が安らぎのひとときを過ごすことのできる空間を都会の中に残しております。
関東地方

千葉県護國神社

明治天皇の深い思召を以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の熟を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるため、千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのに始まり、爾来社地変更・ご社号改称等の変遷を経て、昭和42年9月30日亥鼻山から千葉市中央区弁天に遷座、令和4年2月25日現地内地にご遷座申し上げ、現在に至っております。
関東地方

菅原大神

春(二月二十五日)と秋(十一月二十五日)の祭礼の日には多くの人が菅原大神に子産石を抱きに訪れます。菅原大神は菅原道真公をお祀りしている神社です。学業成就などをお願いする神社ですが今では子宝神社として有名になっています。 菅原大神の拝殿には約九十個の丸石が納められています。この丸石が子産石(こうみいし)と呼ばれています。 子産石は元々、菅原大神から徒歩で十分程度のところにある御産宮(ごさんみや)に納められていました。
関東地方

高家神社

「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されています。
関東地方

鎌数伊勢大神宮

鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)は、寛文11年(1671年)に干潟八万石総鎮守として創建された神明社です。江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に、辻内刑部左衛門と白井次郎右衛門らによって太田ノ胡水とも呼ばれた広大な湖である椿海の干拓が始められました。
関東地方

葛飾八幡宮

葛飾八幡宮のご創建は平安朝の昔、寛平年間(西暦889年〜898年)で実に千百年以上も遡ります。宇多天皇の勅願により京都の石清水八幡宮より勧請し、下総の国総鎮守八幡宮としてご鎮座したのが始まりです。以来歴代朝廷の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰も深く、当宮は下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。なかでも平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領52石の寄進等その尊信は篤いものでありました。
関東地方

麻賀多神社

今から千七百年余前、印旛国造(当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮として、また地元の鎮守様として広く皆様から崇敬されてまいりました。
関東地方

鶴谷八幡宮

鶴谷八幡宮は館山市八幡にある神社で、安房国総社です。南房総市府中にあったものを、鎌倉時代に現在の地に移したと言われています。房総地方でにぎわうお祭り「安房国司祭・やわたんまち」が毎年9月に行われており、このお祭りは千葉県の指定無形民俗文化財に選ばれました。
関東地方

遠見岬神社

当社は、房総半島に技術と文化をもたらした天冨命をお祀りする古社です。その御由緒ははるか昔、初代天皇・神武天皇の御代のお話しまで遡ります。四国から房総へと渡られた天冨命は関東全域の発展に寄与されました。そして技術の伝承ののちに当地に住まわれたと伝えられます。
関東地方

姉崎神社

景行天皇40年(110)日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の時、走水(はしりみず)の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)の犠牲によって無事上総の地に着かれた。この宮山台において、お妃を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命(しなとべのみこと)を祀ったのが創始と伝えられる。
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