秋田県

北海道・東北地方

神明社

神明社創建の時期については諸説があるが、安土桃山時代、この地を統治していた出羽角館城主戸澤氏の篤い祟敬をうけて古城山の一角に鎮座したとの説が有力である。
北海道・東北地方

保呂羽山波宇志別神社

社記によると天平宝字元年8月15日創建。延喜式内社、出羽国九座の一.旧社格県社。明治39年9月28日神饌幣帛料供進神社に指定される。大友右衛太郎吉親が大和の金峯山より安閑天皇の御分霊を戴き御祭神とする。この神社は昭和32年8月15日に鎮座1200年祭を執り行っている。
北海道・東北地方

伊豆山神社

延暦年間(西暦782〜806年)、坂上田村麻呂による「東夷征討」の折、伊豆山に立寄り四神相応奇特の霊場と夷賊平定を祈願。その後夷賊平定の報賽として社殿を造営し積羽八重言代主神を祀り不老山神社と称し大同二年(西暦807年)6月15日鎮座祭が執行されました。
北海道・東北地方

綴子神社

社伝によれば、第37代斉明天皇5年(659)朝廷の命令を受けた阿倍比羅夫将軍が蝦夷えぞ(東北地方)を治めるため肉入籠ししりこに至り、戦勝祈願と北秋田地方の鎮護として九州豊前國(大分県)宇佐神宮うさじんぐうより八幡大神を勧請かんじょうし、地主神と併せ祀ったのが創建とされ、鎮座地の綴子つづれこの地名は日本書紀に記される肉入籠ししりこが訛って綴子になったと伝えられます。古くから宇佐八幡宮・八幡宮と呼ばれ、境内のご神木「千年桂せんねんかつら」はご神体として永く祀られ、特に子授け・安産 ・子育て・縁結びの深いご加護がございます。
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日吉神社

古くより滋賀県大津坂本の日吉大社の別社と称され、御神体はその余材を以て作られたといわれていた。奥州藤原氏の郎党で源頼朝ともゆかりある武勇の誉高い、由利忠八郎維平の崇敬篤き、神鏡朱佛丸の奉納、社領七千刈の寄進があったと言われる。その後、赤尾津氏、最上氏の領有する所となり、元和8年(1622年)領地引き替えにより佐竹氏の領地となる。
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三皇熊野神社

<本宮>創立年月日不詳なれど再建は桓武天皇の延暦年間征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三皇の神に祈誓して高清水丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。境内には田村将軍の杖に根がついたという大木があり、戦前まで、地上8尺位の所から、こんこんと水が流れ、霊水の大木と言われた。
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真山神社

古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。
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土崎神明社

神明社は、元和6年(1620年)に土崎の肝煎・川口惣治郎氏の氏神としてられていた神明様を湊城の跡地(現在地)に遷座し、藩主佐竹義宣の許可を得て土崎港の町の総鎮守としたことがはじまりとされ、中世の城下町であった土崎が、新しい城下町の建設により変わる中で、新たなる土崎港町の発展を願い創建された神社です。
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彌高神社

明治14年秋田市八橋に平田篤胤大人命を祀る平田神社が創建され、その後秋田県教育会が崇敬母体となり明治42年に秋田市中通4丁目に奉遷し、この時佐藤信淵大人命を合祀、社名を彌高神社と改称する。大正5年現在地に遷座、同8年には県社に列格される。
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秋田県護國神社

明治元年10月、秋田藩主佐竹義堯侯によって高清水丘に工事が起こされ、この時太政官より金壱千両が下付され、明治2年8月28日に創建成り招魂社と称し、戊辰戦役の「みたま」を祀ったことに始まる。
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