中部地方 生玉稲荷神社 創建は明らかではありませんが、社伝によると西暦1200年頃の創建とされます。 その後天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代(信長の甥)は、この社を城内守護神として奉祀されました。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 市原稲荷神社 鎮守のお宮として人びとの崇敬を得てきた市原稲荷神社は、いつ頃創建されたのでしょうか。 市原稲荷神社には古老が伝えたひとつの伝説があります。むかし海中いずこからともなく、ご神体が浮かんで磯に寄り移りました。時に市原の島に住んでいた白狐が、このご神体をくわえて陸に上がりました。この地は「お茶屋」と呼ばれる地でした。そこで村びとは社を建て、これをご神体としてまつりました。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 伊文神社 伊文神社はおよそ1,150年前の平安文化華やかなりし頃、第五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が、渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されました。八條院宮は、文徳天皇の皇子とも弟とも云われ、朝廷の命により吉良(現在の西尾)の地を根城にして略奪を繰り返していた兼光・兼盛という二人の逆徒討伐の為、西尾の地に赴かれました。その際に屋敷の東西に御祀されていた、天王社(伊文神社)と八幡社(御劔八幡宮)を随遷されたと伝わっております。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 豊川稲荷 豊川稲荷は正式名を「妙嚴寺」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は、「狐を祀った神社」を想像される方が多数であると思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 尾張大國霊神社 尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されております。当社は奈良時代、国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社でありました。このことから通称「国府宮」として広く知られております。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 伊奴神社 当神社は第40代天武天皇の御代(西暦673年)、名古屋でとれた稲を皇室に献上した際に建立されたものと伝えられております。『延喜式』に「尾張国山田郡伊奴神社」と記載される式内社で、また「本国帳」(尾張国の神社名簿)には「従三位伊奴天神」と記載されており、1330年余りの歴史を持つ名古屋でも有数の古社であります。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 砥鹿神社 砥鹿神社は本宮山に千三百年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里にて祀る里宮とで二所一体の崇敬を集める神社。また三河国内の筆頭神社一之宮です。里宮の社殿は伝統的木造建築の檜造りで、鎮守の杜は欅や楠の大樹が茂り桜や紅葉が四季を彩ります。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 津島神社 津島神社は古くは津島牛頭天王社と申し今日もなお一般に「お天王さま」と尊称されております。大神は国土経営・産業開発にお力を致され民生の安定に限りないご仁慈を垂れさせられた御神徳は広大でありますが、わけても津島のお社は人の身に起こる災厄と疫病(はやりやまい)除けの守護神として、また授福の大神としてあまねく世に知られて居ります。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 熱田神宮 熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。 2024.12.24 中部地方愛知県
中部地方 上野天満宮 およそ千年前の平安時代中期に陰陽師・安倍晴明の一族がこの地に住んだ折、菅原道真公を慕ってその御神霊をお祭りされたのが上野天満宮の起源と伝えられています。 2024.12.24 中部地方愛知県