愛知県

中部地方

鳳来山東照宮

慶安元年(1648)4月、徳川三代将軍家光公が日光東照社(正保2年、宮号が宣下され、東照宮となる)に社参のとき、兼ねて命じていた「東照大権現縁起絵巻」を改めてご覧になられ、造営を命じられました。
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吉田神社

創建については諸説ありますが、旧社家の文書(天王御縁起)には天治元年(1124)当地で疫病が流行した際、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し疫病退散を祈願したのに始まるとあります。源頼朝の崇敬殊に篤かったとされ、治承2年(1178) 頼朝 雲谷普門寺に在宿の折、御祈願の為名代鈴木新十郎元利をして参拝せしめ、後文治2年(1186)石田次郎為久また代参とあり、其の時二日市に天王社(後に下天王・御輿休(みこしやすみ)天王社 今の新本町素盞嗚神社)を建立したとあります。
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山田天満宮・金神社

山田天満宮・金神社やまだてんまんぐう・こがねじんじゃ住所〒462-0813愛知県名古屋市北区山田町3-25電話番号052-981-5695FAX052-911-5104HP由緒・由来文教の祖神として、世の崇敬厚き山田天満宮は、贈太政大臣正一...
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岡崎天満宮

博士の提言により、本間三郎重光の領地であった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国・六十余州の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の霊を慰めるために稲荷社をおまつりしました。
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愛知縣護國神社

明治2年5月尾張藩主徳川慶勝侯が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、その後嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております。
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城山八幡宮

当宮は、もと城山(末森城)の東北の麓、旧田代町字楠(現、千種区春里町2丁目南端)の地(現在地より300メートル程東北)に鎮座し、500年以上前から産土神として崇敬を集めて来たが、明治期村内の八幡社、浅間社、山神社、一ノ御前社、白山社を合併合祀した事で、非常に広い氏子の区域をもつ事になり、昭和11年氏子崇敬者の浄財寄進により、旧来から飛び地境内であった末森城址に遷座された。
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大神神社

大和の大神神社と同じく、大和系(三輪族)の人々が三輪の神を祀った事に始まるといわれています。鎮座地の花池は水が美しく蓮田が多く各所に白蓮が咲き熱田の庄蓮池といわれ、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼でありました。
中部地方

塩竃神社

東北鎮護・陸奥国一之宮として崇敬を集め、塩業や漁業の守護、また安産守護神として津々浦々より厚く信仰されております宮城県塩竈市に鎮座される旧国幣中社『鹽竈神社』から、弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が御分霊を賜り、後に当地に社殿を建立してお祀(まつ)り申し上げ、崇め奉ったのが起こりと伝えられております。
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岩津天神

岩津は聖なる地。六十を越える古墳に眠る古人の慰霊の祭祀を行ってきた場所でした。岩津の天神様は一条の雷光と共に天神山に降臨され、時代は下り江戸の頃、鎌倉・荏柄山天満宮よりご分霊をお迎えし「我を四辺眺望の地に祀るべし」とのお告げにより、聖地・天神山の頂に祀られました。
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真清田神社

当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。
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