垂水神社
たるみじんじゃ
住所 | 〒564-0062 大阪府吹田市垂水町1-24-6 |
電話番号 | 06-6384-1526 |
FAX | |
HP | https://tarumi-jinja.com |

由緒・由来
弥生時代 垂水神社の本殿の後方やや西側の境内地には弥生時代の住居跡があります。昭和48年から51年に吹田市教育委員会と関西大学により発掘され、竪穴式住居跡や掘立柱建物跡、焼土坑、甕棺墓などが確認されております。典型的な高地性集落で、この地が、2000年前から人々が暮らす場所であったことがわかります。※現在は埋め戻されています。
飛鳥時代~奈良時代 孝徳天皇(ご在位645年~654年)の御代、この地の領主である阿利真公ありまのきみご祭神である豊城入彦命とよきいりひこのみことの子孫)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って当地から水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公たるみのきみ」の姓を賜り、垂水神社を創始しました。 このことは 『新撰姓氏録しんせんしょうじろく』の右京皇別うきょうこうべつの項に記載されております。(写真は垂水の滝)
「豊城入彦命四世孫賀表乃真稚命之後也。六世孫阿利真公。謚孝徳天皇御世。天下旱魃。河井涸絶。于時阿利真公。造作高樋。以垂水岡基之水。令通宮内。供奉御膳。天皇美其功。使賜垂水公姓。掌垂水神社也」(新撰姓氏録)
これを意訳しますと、次のようになります。
「豊城入彦命の数世の御孫阿利真公、孝徳天皇の御宇、天下旱魃し河井涸絶せるに際し高樋をつくりて垂水岡基の水を長柄豊崎宮に通じ御膳に供すれば天皇その功を賞し垂水公の姓を賜いて本社を掌らしめ給えり」
『新撰姓氏録』とは、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑のことです 。 おそらくこの時より以前からこの地では祖先神である豊城入彦命を祀る何らかのお社があり、また当然ながら都に送れるほどの水量のある滝があり、人々によって神聖な空間として大切にされていたのでしょう。また千里丘陵の南端に位置する当社は、上町台地に位置する難波宮とはほぼ南北の直線上にあって、距離にして約15㎞ですので、難波宮から滝が見えていたとも考えられます。
※垂水神社様HP 由緒より