錦天満宮
にしきてんまんぐう
住所 | 〒604-8042 京都府京都市中京区新京極通り四条上る中之町537番地 |
電話番号 | 075-231-5732 |
FAX | |
HP | https://nishikitenmangu.or.jp |

由緒・由来
「錦天満宮」の創建は『学問の神様』として知られる平安時代の学者、政治家であられた菅原道真公(菅公)の父親である菅原是善の旧邸、菅原院と深く関わっております。菅原院は菅公の薨去後に歓喜寺となり、長保5年(1003年)源融公を祀る塩竈宮がある六条河原院(※1)に移り神護にあたり、天満大自在天神をお祀りしました。
そこから約300年の時を経て、正安元年(1299年)後伏見天皇より「天満宮」の神号の宸翰(※2)を授与されました。また、関白九条忠教は殿宇を寄進し大いに天満宮を奉祀され、そして六条河原院跡を京都八幡「善導寺」に寄進、「歓喜寺」は「歓喜光寺」と改められました。このように当錦天満宮は歓喜寺(菅原院)に由来しており、後に「菅公聖蹟二十五拝(※3)」の第二番に位置づけられたのはこの由緒によるものです。
歓喜光寺創建から288年後の天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画によって、時宗六条道場と称された「歓喜光寺」は錦小路の時宗四条道場「金蓮寺」の敷地に移転。天満宮は以後「錦天満宮」と称され同地に鎮座しております。
このような歴史の中、享保14年(1729年)には前関白九条輔実公の申請で唐破風獅子口を設けました。その後明治5年(1872年)には神仏分離令によって神社が独立。「歓喜光寺」は東山五条へ(後に山科へ)と移り、残された神社は同年新京極通開通の際には社地を縮小し現在に至っております。
※錦天満宮様HP 錦天満宮の由緒より