下鴨神社
しもがもじんじゃ
住所 | 〒606-0807 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 |
電話番号 | 075-781-0010 |
FAX | |
HP | https://www.shimogamo-jinja.or.jp |

由緒・由来
当神社の正確な創祀は不明ですが、崇神天皇の7年(BC90)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があるため、それ以前の古い時代からお祀りされていたと考えられます。近年の糺の森周辺の発掘調査では古代の土器や弥生時代の住居跡が発掘され、古代からの信仰を裏付けています。『続日本紀』の文武天皇二年(698)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があり、このことからも奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかります。
平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして賀茂別雷神社とともに信仰を受けておりました。式年遷宮や斎王の制度などが定められたことからも、一線を画した特別な神社として認識されていたことが伺い知れます。『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたしますように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。
平安時代末期になりますと全国に60余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社を支えました。 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えていきますが、代わって国民の信仰が神社を支えていくようになりました。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などでは、そのころの様子がうたわれております。
国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われました。江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための御祈願を日々行っております。
※下鴨神社様HP 創祀より