伊奈冨神社

伊奈冨神社

いのうじんじゃ

住所〒510-0204
三重県鈴鹿市稲生西2-24-20
電話番号059-386-4852
FAX
HPhttps://inou-jinja.com
No Image(神社情報)

由緒・由来

当神社は社伝によれば、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、今より遡ることおよそ二一〇〇年の崇神天皇五年、霊夢の神告により勅使参向のもと、「占木」の地にて社殿造営の地を占われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社を鎮祭されました。

その後、仲哀天皇の御子品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え(※1)、雄略天皇五年には数種の幣物が奉納され、主祭神保食神には「那江大国道命」の御神号を賜りました。降って奈良時代天平年間、行基上人が別当寺の神宮寺を建立され、更に平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、獅子頭を奉納、七島池を一夜にして造られたと伝えられております。

貞観七(八六五)年四月、正五位上より従四位下に進階し(三代実録)、延喜式内社に列せられております。当時の神領は東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な面積でありました。鎌倉時代中頃には正一位に進階し、文永十一(一二七四)年三社それぞれに勅額を賜りました。以後「正一位稲生大明神」として武門武将の尊信篤く、ことに鎌倉将軍惟康親王は神田二百二十町歩、北畠国司は社領千石御供田十二段を寄進せられ、また江戸時代元文年間には、紀伊徳川家より造営料銀二十二貫を賜り、三社の大造営をなしております。

明治期に入ると明治六年に郷社、同三十七年に県社に列せられましたが、戦後この制度は廃止され現在に至っております。

※1 現在も「社家」と呼ばれるその家系が残っております。

※伊奈冨神社様HP 御由緒より

詳細MAP

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