吉田神社

吉田神社

よしだじんじゃ

住所〒440-0891
愛知県豊橋市関屋町二
電話番号0532-52-2553
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HPhttp://toyohashi-yoshida.com
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由緒・由来

創建については諸説ありますが、旧社家の文書(天王御縁起)には天治元年(1124)当地で疫病が流行した際、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し疫病退散を祈願したのに始まるとあります。源頼朝の崇敬殊に篤かったとされ、治承2年(1178) 頼朝 雲谷普門寺に在宿の折、御祈願の為名代鈴木新十郎元利をして参拝せしめ、後文治2年(1186)石田次郎為久また代参とあり、其の時二日市に天王社(後に下天王・御輿休(みこしやすみ)天王社 今の新本町素盞嗚神社)を建立したとあります。 牧野古白の今橋城(吉田城)築城後は御城内天王社・牛頭天王社、天保6年に正一位の神階を賜った後は正一位吉田天王社と称しました。

今川義元 酒井忠次 池田輝政 又、徳川幕府成立後も歴代の吉田城主により社殿の造営や修補がなされ、寛文2年(1662)吉田城主小笠原忠知(ただとも)による上下両社殿の造立、及び元禄13年(1700)久世重之による拝殿・廊下等の造立をはじめ文久2年(1862)松平信古(のぶひさ)による修補まで、新造営2回、修理14回皆吉田城主の造営によります。又、鳥居や手水盤等、同じく城主の寄付にかかるものも多く残ります。 現在の拝殿は明治17年に氏子八ヶ町の寄附により新造され、本殿は明治25年秋の台風による杉の倒木により大破したことから、翌26年同じく氏子に寄附を募り、名古屋古渡の匠大橋金次郎によって新造されたものであります。

室町時代には田畠十貫文を領し、今川義元は六貫百文の畠を加増、徳川家康は改めて三十石を寄進し明治に至るまで之を領有しました。 天保6年10月正一位の神階を賜り、明治2年3月吉田神社と改称、明治4年7月郷社、大正11年10月には縣社に昇格せられました。 戦後社格は廃止されましたが、現在も八ヶ町(本町・上伝馬町・萱町・指笠町・札木町・三浦町・関屋町・西八町)の氏神として、又手筒花火発祥の神社として崇敬されております。

※吉田神社様HP 御祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと)より

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