伊文神社

伊文神社

いぶんじんじゃ

住所〒445-0822
愛知県西尾市伊文町17番地
電話番号0563-57-2838
FAX0563-54-3571
HPhttps://www.ibunjinja.net
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由緒・由来

伊文神社はおよそ1,150年前の平安文化華やかなりし頃、第五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が、渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されました。八條院宮は、文徳天皇の皇子とも弟とも云われ、朝廷の命により吉良(現在の西尾)の地を根城にして略奪を繰り返していた兼光・兼盛という二人の逆徒討伐の為、西尾の地に赴かれました。その際に屋敷の東西に御祀されていた、天王社(伊文神社)と八幡社(御劔八幡宮)を随遷されたと伝わっております。

社名については、三河國神名帳には『正三位内母大明神』と記され、天王社、天王宮、伊文山(いもやま)牛頭天王(ごずてんおう)、伊文山天王宮等と称しましたが、文政の頃には伊文山とつくと寺院の山号に紛れ易いとして、伊文社(いもんしゃ)となり、明治維新以降は伊文神社とされ、現在は「伊文さん」「祇園さん」等と親しまれています。

承久(1219~1222)の頃より、本所の総産土神、総鎮守として西尾城主を始め士民一般の崇敬厚く、城主が入部、帰城の際、及び正月には必ず参詣がありました。特に夏の祭礼はその盛大さから祇園祭と称され、神輿の渡御を中心に六ヶ町(天王町・肴町・本町・中町・幸町・須田町)の神賑行事も盛大に町中総出の賑わいで、西尾の町の風物詩として広く親しまれてまいりました。

また江戸の世になってからは、最高位である正一位を宣下賜わり、徳川幕府より朱印地十八石五斗の寄進を受けるなど益々神威を増し、祇園祭においては祭事を厳ならしめんと西尾城主より遣わされた鉄砲・弓・槍等を神幸行事に随行させ、また祭費を奉納することが通例となっていきました。

昭和54年1月1日夕刻、不慮の火災にて拝殿及び琴平社拝殿が焼失するも翌年には御社殿再建委員会が組織され、委員各位の弛まぬ努力と氏子崇敬者の素晴らしきご厚志により、コンクリート造の御社殿として見事に復旧いたしました。

※伊文神社様HP 伊文神社の歴史より

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