放生津八幡宮
ほうじょうずはちまんぐう
住所 | 〒934-0025 富山県射水市八幡町2-2-27 |
電話番号 | 0766-84-3449 |
FAX | 0766-75-1254 |
HP | https://www.houjyoudu.com |

由緒・由来
嘉祥元年(848)8月に記された当宮の由緒を要約すると、「天平18年、越中国守、大伴家持が奈呉の浦を遊船中、にわかに風が強くなり、波濤高く船の舷に激しくうちつけた。家持は、掌で潮水を掬い、両手を合わせてひたすらに宇佐八幡神に祈願した。すると、たちまち順風に変わり、無事国府に帰ることができた。そこで、家持は、天平19年8月に、本殿、拝殿、七堂伽藍を建立し、宇佐八幡神を勧請した。・・・」というもの。家持は、強風で船が転覆しそうになり、命の危険にさらされたが、宇佐八幡神のご加護により助かったということが語られている。
当時は、朝廷の宇佐八幡宮への信仰が高まっている時期である。天平17年(745)に、聖武天皇が病気に罹られ重篤な症状に陥られた。朝廷では、宇佐八幡宮に聖武天皇の病気平癒祈願を行った。その甲斐あって聖武天皇の病気が快復した。
天平19年(747)新年早々、家持は、重病に罹り病床に着くことになる。家持自身、命の危険を感じていたことが万葉集から窺える。正倉院文書によると、2月23日に、佐保の大伴家では氏寺で、十一面観音菩薩に家持の病気平癒祈願を行ったという記載がある。家持の重病の報が奈良の大伴家にも伝えられていたことが分かる。2月29日に、家持が越中掾、大伴池主に宛てた書簡によると、「百神に祈り、ようやく病が小康状態になった。・・」という趣旨のことが書かれている。家持が祈った百神の筆頭に、聖武天皇の病気平癒に霊験のあった宇佐八幡神がおられたのではなかろうか。
家持作の「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ」の歌に詠まれているように、奈呉にはすでに海人の集落があり漁業を営んでいたことが窺える。奈呉は当宮の鎮座地である。家持は、国守として海人の暮らしぶりに関心を持ち、実際に舟に乗って海人の暮らしぶりを見廻られたに違いない。そして、海人の暮らしの安寧と海幸の豊かなことを祈られたと考えられる。この由緒には、家持の強い祈願によって宇佐八幡神が勧請されたことが背景にあると考えられる。当宮は、家持によって創建され、当初は奈呉八幡宮と称されていた。
※放生津八幡宮様HP 由緒1より