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特集 vol.259
日本史のスターの軌跡を訪ねて
戦国武将ゆかりの神社E
大河ドラマ『麒麟がくる』でおなじみの明智光秀公を始め、戦国時代に輝いた武将たちゆかりの神社を紹介します。

【京都・福知山市/御霊神社】
戦国時代最大の謎「本能寺の変」の
キーマン明智光秀公を祀る


大河ドラマ『麒麟がくる』で注目を浴びる、明智光秀公を祀るのが京都府の北部の町、福知山市にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)です。
光秀公といえば、「本能寺の変」ではないでしょうか。
戦国時代最大のミステリーといわれ、なぜ光秀公が主君である信長に謀反をおこしたのか、その動悸が多くの識者により語られてきました。『麒麟がくる』では、どのように描かれるのかが楽しみですね。
「本能寺の変」により、光秀公はヒール(悪役)のイメージがもたれてきましたが、御霊神社では神さまとして祀られています。それは、光秀公が善政をおこない、福知山の人々に慕われていたため。由良川に長い堤防を築いたり、宅地税の一種である地子銭を免除したり、福知山城を築城し城下町を整備するなど、人々が安全に豊かに暮らせる政策をおこなっていました。光秀公の死後、福知山で天災が相次いだことから、「天災は、えん罪で非業の死を遂げた光秀公の祟り」と人々が恐れたことから、もともと稲荷社だった神社に光秀公が合祀されました。


丹波平定に成功した光秀公が築いた福知山城。現在の天守閣は、昭和61年(1986年)に再建されたもの。

御霊神社は、古い街並みが残る福知山城下町のランドマーク的存在。境内には、願いがかなうとされる「叶石」や明智家の家紋がデザインされたお守りも。パワースポットとしても密かに人気を集める神社となっています。


城下町の中に建つ、御霊神社。10月の例大祭では、あわせて「丹波光秀ききょうまつり」が開催されます。

【福井・福井市/柴田神社】
柴田勝家・お市の方にちなんだ、
体験型祈願に注目!


福井駅から徒歩6分。「城の橋通り」沿いに建つ柴田神社(しばたじんじゃ)は、柴田勝家公とお市の方を祀る神社です。「城の橋通り」という名の通り、神社があるのは、当時日本最大級の城だった北ノ庄城の跡地。現在は北ノ庄城址・柴田公園として整備され、その一角に神社が建っています。
勝家公は、織田信長の古参の重臣だった人物です。律儀で真面目な性格だったとも伝えられ、アイディア勝負でのし上がった羽柴秀吉とは水と油、犬猿の仲だったといわれています。天下統一にむけて、北陸方面軍の司令官として活躍したことから、北ノ庄が与えられ、北ノ庄城を築城。最後に羽柴勢に包囲されお市の方と共に自害したのもこの城です。


柴田公園内には北ノ庄城の遺構が残されています。

その跡地に建てられた柴田神社には、勝家公、お市の方ファンが全国から参拝に訪れる人気スポットになっています。ユニークなのが、「瓶割祈願」と「美(モテ)祈願」というふたつの体験型祈願。瓶割祈願は、勝家公が「瓶割り柴田」と呼ばれていたことに由来する祈願です。朝倉攻めのあとに、長光寺城に入っていた勝家公率いる織田軍は六角軍に周囲を包囲され水源を絶たれピンチに陥っていました。勝家公は、皆に存分に水を振る舞ったあとに瓶を割り、同軍を奮起させたことにより多勢の六角軍を打ち破ったといわれています。この逸話にちなみ、願いごとを瓶と絵馬に書き、瓶を鉾で貫き割るのが「瓶割祈願」。
「美(モテ)祈願」は、絶世の美女と称えられたお市の方にちなんだもの。授与所で受けた祈願用紙に願いごとを書いたら、拝殿に参拝、境内のお市の方像にもご挨拶して、祈願所で祈願用紙を水に浮かべて祈願すると願いがかなうそう。参拝の際は、ぜひ体験して御祈願してみてください。


お市の方像にご挨拶して、天下一の美人にあやかりましょう。

【静岡・静岡市葵区/静岡浅間神社】
今川家、武田家、徳川家ゆかりの神社で
満願をかなえる七社巡りを


静岡市にある静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、今川氏、徳川氏からあつい崇敬を受けてきた神社です。
今川氏は氏神として庇護し、初代当主、今川範国は願文をおさめ、二代当主の範氏公は天下泰平の祈願を、4代当主の義元は生母のために菩薩舞装束一式を奉納しています。今川家の人質だった徳川家康(竹千代)が元服式をおこなったのも、武田家攻略を祈願したのもこちらの神社。江戸時代には徳川幕府の祈願所とされてきました。
社殿は何度も焼失していますが、その度に今川氏、武田氏、徳川家康、徳川家光により再建されています。特に家光が再建した社殿は大事業で、文化元年(1804年)から60年以上の歳月をかけ、10万両という巨額の費用を投じたものでした。これが現在の社殿群にあたります。
ちなみに、静岡市が全国一のプラモデル産地となったのは、このときに社殿造営に関わった職人が、木工、模型、漆器などの工芸品を手掛けるようになり、指物や漆器の産地として栄えたのがルーツだそう。家光が、全国から職人を集め大規模な社殿造営をおこなわなければ、バンダイもタミヤもなかったかもしれないと思うと不思議です。


大拝殿は国指定重要文化財で、高さ25mもある大建築です。

4万5000uの境内には、贅を尽くした華麗な社殿群が立ち並び、徳川家にとって重要な神社だったのかをうかがい知ることができます。広々とした境内を見てまわるのに最適なのが「七社参り」。七社参りの看板によると「境内にある七つの神社をすべてお参りすると満願がかなう」と書かれています。
宝を授ける福の神さま、良縁安産子授けの神さま、技芸上達知恵の神さまなど、かなり具体的な御神徳も記されており、読んでみると確かにこれだけの願いがかなえば「満願」といえそうです。
七社参りを満喫するには、まず神部神社と浅間神社の境内にある授与所で、一社ずつ朱印を入れるスペースが用意された「七社巡り ご朱印札」を受けるのがおすすめです。さらに、同じ場所に「七社巡り達成 記念撮影場所」も用意されているので、スタンプを集めたあとは記念撮影もして、ばっちり達成感を味わうことができるでしょう。
七社巡りの所要時間は最短でも1時間。ゆっくり社殿を見てまわるなら、1時間半から2時間は必要です。たっぷり時間を取っておでかけください。


こちらが、「七社巡り ご朱印札」の朱印台。スタンプラリーのようで、達成が楽しみになります。