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特集 vol.257
一度は行きたい
一宮さんぽ〜関東編B
今回は武蔵国の一宮とされる小野神社と氷川神社をクローズアップ!どちらが一宮なのか、ふたつある一宮のナゾにも迫ります。

【東京・多摩市/小野神社】
ハートマークのパワースポットも
東京唯一の一宮は多摩市にあり!


武蔵国の一宮として知られている神社といえば、埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社(ひかわじんじゃ)と、東京都多摩市の小野神社(おのじんじゃ)です。

武蔵国は、東京都、埼玉県、神奈川県の川崎市、横浜市あたりを範囲とする大きな国です。もともと无邪志(むざし)、胸刺(むなさし・むさし)、知々夫(ちちぶ)の三社に分かれていた国が645年の大化改新によりひとつとなりました。同時に、府中に武蔵国の国府(政治・軍事などの中心)が置かれ、武蔵国中の神さまをひとつにまとめて祀った総社、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)も作られました。


街中の神社としては広めの境内で、由緒を感じられます。隋神門も立派!

武蔵国の一宮、小野神社は、社伝によるご鎮座は第3代安寧天皇18年2月初未。創建2500年という由緒ある古社です。
主祭神は、武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)と瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)の2柱です。延喜式神明帳には、武蔵国八座の一社として記され、一宮として、国司が最初に参拝される神社とされていました。

小野神社が建つのは京王線の聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩6分ほどの場所。聖蹟桜ヶ丘駅といっても、ピンとこない人も多いかと思いますがスタジオジブリによるアニメ『耳をすませば』の舞台となった、東京のベッドタウンです。


拝殿、本殿は朱塗り。拝殿内には大國魂神社のご神木を使った彫刻がありました。

静かな住宅街の中にある神社は、壮大な歴史を持つとは思えないほどひっそりとしたたたずまい。大正時代の火事などにより社殿は建て替えられていますが、隋神門には見事な彫刻が施されています。
御祭神の瀬織津姫命は、大祓詞に登場する祓戸四神の1柱のため、お祓いの神さまともされ、悪縁が切れると参拝される方も多いそう。良縁を願って悪縁を切りたい女性は、拝殿に向かって右手にある石にご注目を。社殿造営の際に出てきたもので、自然にハートマークが浮かび上がっているので、お参りしてみてはいかがでしょうか。
また、良縁を願う人は、華やかなデザインの瀬織津姫命の御札やお守りも要チェックです。社務所は無人のこともあるのでご注意を。御朱印を受けたいときには、事前に電話するとよいそうです。


自然にできたハートマークは形もカワイイ!お参りすれば、良縁がかなうかも!?

【埼玉・さいたま市大宮区/氷川神社】
埼玉屈指の大社にはご利益スポットもいっぱい!


もうひとつの武蔵国一宮、大宮の氷川神社は、荒川流域にある200の氷川神社の総本社。八岐大蛇退治により結ばれた須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)と、二柱の子神で因幡の白兎の神話でおなじみの大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っています。
社記による創建は、およそ2000年前の第5代孝昭天皇3年4月未の日。出雲系の氏族がこの地に移住したことから、出雲の家族神として3柱の神さまを祀ったのが始まりです。


約2kmにおよぶ参道は、長さ日本一ともいわれています。

氷川神社が建つのは、大宮駅東口から徒歩15分ほどの場所。大宮駅は埼玉県最大規模のターミナル駅です。氷川神社のあるエリアも、中山道がそばを走る大宮駅の市街地ですが、「氷川参道」と呼ばれる長大な参道に足を踏み入れると雰囲気が一転。美しいケヤキ並木が続き、森林浴しているような気分に。隣接する大宮公園は、東京ドーム14個分の広さを持つ広大な公園ですが、こちらももともとは氷川神社の境内地だったそう。氷川神社が「大いなる宮居」と称えられ大宮の地名の由来になったというのも納得です。


神池にかかる橋の先には立派な楼門が。

参道を抜け三の鳥居をくぐると、お酒の神さま松尾神社とその先に神池、立派な楼門が見えてきます。拝殿でお参りしたら、楼門を出て右手奥にある蛇の池へ行ってみましょう。こんこんと水が湧き出る池は、埼玉最強のパワースポットといわれています。蛇の池の「蛇」とは、八岐大蛇のこと。須佐之男命が八岐大蛇を退治したことから水を治める神さまともされ、氷川神社発祥の地とされています。ほかにも、医学薬学の神さま天津神社や、商売繁盛のご利益で知られる稲荷神社など、境内にはたくさんの社があるので、巡ってみましょう。


夫婦の神さまと出雲大社の御祭神でもある大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られていることから縁結びのご利益が知られています。

小野神社と氷川神社。武蔵国の一宮はどっち?


武蔵国のふたつの一宮をご紹介しましたが、一番のお宮が二つあるのは、どうもおかしい気がします。果たしてどちらが一宮なのでしょうか?
規模から見ると、あきらかに古来より大規模だったのは氷川神社です。そう考えると氷川神社が正しい一宮な気がしますが、「一宮」と呼ばれた時期は小野神社の方が早かったようです。小野神社が一宮として史料に登場するのは、治承5年(1181年)の『吾妻鏡』。一方、氷川神社が「一宮」と記載のある史料は、後世の改変と考えられているものが多く、確実なのは天成6年(1578年)の『北条家禁制写』が最初。『神道集』でも、武蔵国内の一宮から六宮が記載されていますが、小野神社は一宮、氷川神社は三宮とあります。
小野神社の神職の方には「中世に制定された一宮の制度では小野神社が一宮、その後時代が変わり社格として近世に一宮とされたのが大宮の氷川神社ということではないでしょうか」と教えていただきました。