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特集 vol.234
江戸っ子気分で島内めぐり
江島神社1日トリップ-後編-
江の島の聖地・岩屋を目指して、いよいよ島内めぐりをスタート。江戸時代の有名歌舞伎小屋の軌跡から、知る人ぞ知る第三の弁天さままで、江の島レポートをお届けします!

海一望の中津宮で、歌舞伎の歴史さんぽ


江島神社(えのしまじんじゃ)の齋藤さんのお話におどろいたり、感心したりした前編に続いて、後編は絶景も江戸情緒もたっぷりの島内めぐりをお届けします。
奉安殿を出て右へ向かうと、真っ青な海を一望するテラスがあり、一気にテンションが上がります。


ヨットハーバーや対岸も一望する中津宮前の展望テラス。たくさんの人がカメラを向ける絶景スポットでした。

テラスから振り向くと、二番目のお宮、中津宮がすぐそこに。江島神社に祀られる三姉妹の女神さまの次女、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。短い参道の左右には、「中村座」「市村座」と書かれた立派な石灯籠が。さらに「江の島歌舞伎の手形」には五代目尾上菊之助さんと、七代目尾上菊五郎さん親子の手形もあります。江の島の弁天さまは、芸能の神さまとして江戸っ子に大人気だったことから、江戸から現代まで歌舞伎の世界から篤い信仰を受けているようです。
そういえば、齋藤さんが「歌舞伎の人気演目『白浪五人男』に登場する弁天小僧菊之助は、岩本楼のお稚児さんをモデルにしたようですよ」と教えてくださいました。『白浪五人男』の弁天小僧といえば「知らざあ言って聞かせやしょう」のセリフでおなじみ。美しいお嬢さんに変身した美少年とその仲間の盗人5人組の物語で、江戸時代から大変な人気を博している演目です。歌舞伎にも登場する江の島は、江戸っ子たちにおなじみのスポットだったのでしょう。


中村座の石灯籠一対、市村座の石灯籠一対が参道左右に並んでいます。

歌舞伎ファン必見、尾上菊之助さんと尾上菊五郎さんの手形もあります!

創建1100年以上。中津宮は、もっとも歴史あるお宮


「江島神社の三つのお宮のうち、江戸時代以前に建てられたのは、中津宮と奥津宮です。中津宮の方が、江戸時代の趣が生かされていますよ」。
そう齋藤さんに教えていただいた社殿は、元禄2年(1689年)に、五代将軍・徳川綱吉により再建されたもの。1996年の全面改修では、再建当時の朱色が再現されたそう。創建は、仁壽3年(853年)。辺津宮の創建は建永元年(1206年)、奥津宮は明治の廃仏毀釈の後にお宮になったため、中津宮の創建がもっとも古いことになります。
中津宮で江戸の雰囲気を満喫し、次なるお宮に向かうことにしました。


辺津宮の社殿は、左右に長い拝殿と石の間の奥に本殿を配した権現造。江戸時代に多く用いられた神社建築です。

昭和レトロなムードがたまらない!
山頂から奥津宮へ


最後のお宮、奥津宮に向かうにはまず山頂の江の島展望台を目指します。階段を上りきると、右手に江の島展望台のある江の島サムエル・コッキング苑、右手に展望テラスが見えてきました。展望テラスから見る大海原は本当にすばらしく、登りで切れた息をここで整えてひと休み。
海のパノラマを見て心と体を癒やしたあとは、島内奥へと足を進めます。この先の道の雰囲気は、江戸、ではなくザ・昭和。階段を下って上る細い道の左右に、昔ながらのみやげ店や江の島名物しらす丼を出す飲食店が軒を並べます。


昭和レトロな雰囲気が楽しい、奥津宮へ続く道。

商店街を抜けたら、石の鳥居と石畳の参道が見えてきます。鳥居のそばには「頼朝寄進の鳥居」の案内板がありました。
江の島の八臂の弁天さまが源頼朝により寄進されたものであることは前編で書きましたが、案内板には、参詣のたびに信仰の対象となるものを寄進していたとありました。頼朝寄進の鳥居は、設置の場所も形もわかっていないようです。


頼朝寄進の鳥居に形が似ているという奥津宮の鳥居。

社殿の手前、右手には江戸時代に奉納された力石があります。重さ80貫(320kg)の石は、日本一の力持ちといわれた岩槻藩の卯之助が力比べに使ったものだそう。

奥津宮には、三姉妹の女神さまの長女、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られています。元は岩屋本宮に海水が入る4〜10月に、弁天さまが海に浸らないように遷座する御旅所だったそう。江の島信仰の要の弁天さまがいらっしゃる場所だけあり壮麗な社殿がありましたが、天保12年(1841年)に焼失。翌年に再建されたものを、修復しつつ現在まで生かしているそう。
ご挨拶しようと拝殿へ足を向けると、拝殿天井にある酒井抱一の『八方睨みの亀』の模写が目に入りました。齋藤さんいわく三代目の模写だそうで、本物は色の退色が激しく風化しているものの大切に保管されているとのことでした。


入母屋造の奥津宮社殿。天井には八方睨みの亀が描かれています。

岩場の向こうに海が見えたらようやく島の裏側に到着!

神秘的な岩屋の最深部は、江の島隋一のパワースポット


岩屋は弘法大師や日蓮上人も修行したといわれる、弁財天信仰発祥の地。海に向かってぽっかりと洞窟の入口が開いています。洞内は、富士山の氷穴に通じているといわれる第1岩屋と龍神伝説の地といわれる第2岩屋にわかれていますが、当日は第2岩屋が閉鎖中で第1岩屋のみ見学が可能でした。
第1岩屋に入るとすぐに現れるのが、透明度の高いわき水の池。昔の参拝者はこのあたりで銭洗いをしていたのでしょう。


岩屋を入るとすぐに透き通った水がわく池が。

パンフレットによると奥行きは56mあり、奥の方で二股にわかれています。左に進むと通行止めになり、先の方まで洞窟が続いています。ここが鳴沢氷穴に続く洞窟なのでしょう。戻って右手の洞窟に行くと突き当たりにほこらがあります。
「岩屋は昭和にあった崩落事故のあと手つかずの状態だったのですが、藤沢市が修復し管理することになりました。でもほこらの先は、元々江の島の神々が鎮座していた江の島信仰発祥の地。ここだけは今も江島神社の神社地なんですよ」。
齋藤さんのお話を思い出しながら、ほこらに手をあわせました。


右手の通路の先が江の島の神々が鎮座していた江の島信仰の発祥の地。

岩屋参拝を終えると、もうお昼過ぎ。島の入口にふたたび戻っていきましたが、島を出る前にどうしても見ておきたい場所がありました。それは、島のメインストリート弁財天仲見世通り沿いにある岩本楼の弁天さま。齋藤さんの紹介ということで特別に見せていただきました。ロビーの奥に鎮座する八臂弁財天像は、奉安殿でお会いした二体の弁天さまに比べてふくよかなお顔付きです。これで、いまも残る三体の弁天さますべてにご挨拶することができました。
江戸っ子の軌跡をたどる江の島巡りはこれにて終了。朝からスタートして、半日ゆっくり島内を楽しみ大満足の1日トリップとなりました。