茨城県、常陸太田市の西金砂神社(にしかなさじんじゃ)・東金砂神社(ひがしかなさじんじゃ)の2社による「磯出大祭礼」は、72年に一度開催されるという日本一ロングスパンのお祭。第1回開催は約1200年前の仁寿元年(851年)。以来、1回も欠かさず開催され、前回2003年で17回を迎えました。「二度見る者は稀である」ともいわれており、次回開催は57年後の2075年。確かに、現在20歳くらいまでの人しか見ることができなさそうです。
注目すべきは開催期間だけではありません。
大祭礼では、両社から日立市水木浜まで約75kmという距離を1週間かけて往復します。さらに、行列に参加するのは西・東の金砂神社の氏子たちそれぞれ約500人。巡行の距離、期間、参加人数とも日本最大級です。
なぜ、このような祭りが生まれたのでしょうか?西金砂神社の宮司さんにお話をうかがいました。「祭りの起源は、金砂神社が滋賀県大津市の日吉大社(ひよしたいしゃ)より勧請されたことに由来します。日吉大社から船で大阪湾に出て太平洋の黒潮にのり、水木浜から上陸し、川沿いに現在地へ鎮座した。この道筋をたどり磯出するのが大祭礼だと伝えられています。磯出の祭典は、茨城県から福島県の太平洋側に鎮座する約130社の神社でおこなわれています。日吉大社には西本宮・東本宮というふたつの社殿がありますが、西・東金砂神社はこの社殿をあらわしたものなのです」と教えていただきました。
72年という開催間隔では、祭りの様式を伝えるのも難しいのでは?「西金砂神社には、6年ごとの丑年と未年におこなわれる小祭礼というお祭りがあります。小祭礼の様式が堅く守られていることから、大祭礼をおこなうことができるのです。『小』とつくお祭りではありますが、小祭礼も日本最大規模だと思います。300人の行列が3泊4日かけて神社から常陸太田市馬場町まで約20kmを往復し、使いの者は水木浜まで潮水汲みにまいります。この3泊4日のあいだには、田楽舞、火消し行列の繰り込み、七台の山車の競演、御神馬行事、花纏(まとい)の繰り込みなど毎日おもむきの違った出し物が奉納されます。」
小祭礼は、次回2021年の開催で第200回をむかえます。大祭礼を見逃してしまった方も、小祭礼でこの古を伝える祭りを体験してみてはいかがでしょうか?
京阪電鉄京阪宇治駅から徒歩約10分。悠々と流れる宇治川を渡り、住宅街のなかの小道を歩くと緑に覆われた宇治上神社(うじがみじんじゃ)が見えてきます。
古くはお隣の宇治神社と二社一体で、宇治上神社が離宮上社、宇治神社が離宮下社と呼ばれていました。御祭神は、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)とその父である応神天皇(おうじんてんのう)、異母兄である仁徳天皇(にんとくてんのう)。宇治川対岸には10円玉の絵柄でおなじみ平等院鳳凰堂があり、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、近在住民の崇敬もあり社殿が維持されてきました。
世界遺産にも登録されているこちらの神社。境内はそれほど広くなく、世界一狭い世界遺産とも呼ばれているそう。お目当ての現存する最古の神社建築は、境内の奥に鎮まる本殿です。意匠などにより平安時代後期に造営されたものと見られており、近年の調査により本殿に平安時代に伐採された木材が使われていることも判明しました。本殿の作りは、一間のなかに3棟の内殿が横並びで入っている特殊な形式。檜皮葺屋根は流造(正面の屋根が背面の屋根よりも長い神社建築のひとつ)となっており、屋根がゆるやかなカーブを描いています。シンプルで美しい造形の本殿は国宝に指定。本殿の前に建つ拝殿も国宝であり、鎌倉時代のすぐれた建築遺構だとされています。