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特集 vol.188
台風シーズン到来!風よ鎮まれ
夏の神事・風祭り
8月から台風の本格シーズンが始まります。この時期神社では、悪風を鎮める風祭りという神事があり、町をあげて盛大な祭りとして根付いている地域もあります。

百人一首では能因法師などの歌にも登場する龍田大社。

【奈良・三郷町/龍田大社】
火柱よ、天までとどけ!
花火奉納で盛り
上がる風鎮大祭


風の神さまを祀り、「龍田の風神さん」と親しまれる龍田大社(たつたたいしゃ)。毎年7月第1日曜におこなわれる「風鎮大祭」は、勇壮な「花火奉納」が知られる祭りです。
花火といっても、空をあおぎ見る打ち上げ花火とは趣が異なります。
奉納者が横に広げた両手に手筒花火を持ち、拝殿に向かってすっくと立ちます。そこに点火されると火柱が空に向かって勢いよく上がり、火の粉がシャワーのように降り注ぎます。破裂音とともに花火が終わるまで微動だにしない奉納者に、周囲の観客は拍手喝采!
花火奉納者は限定募集があり、毎年数多くの応募者が花火を手に火の粉を浴びます。打ち上げたあとの手筒花火を持ち帰り神棚などに祀っておくと、無病息災・家内安全の御守りになるといわれています。
これは風神さまに火のごちそうを捧げる神事ですが、水の神さまを祀る同県の廣瀬大社(ひろせたいしゃ)で、雨乞いとしておこなわれる「砂かけ祭り」と対をなすものとして知られています。
『日本書記』のなかで風鎮祭は、「かぜしずめのまつり~風祭り」として、龍田大社が発祥の地とわかる記述も残されています。風鎮祭は全国に広がり一般的には、立春から数えて210日目にあたる雑節・二百十日(にひゃくとおか)ごろにおこなわれるようになりました。このころは作物が実る大切な時期と、台風の襲来が重なることもあり、警戒の意味もあったようです。
稲作が中心の日本において、古代より風水害の被害は飢饉や疫病の流行などに直結し、国の安定を脅かしてきました。だからこそ、五穀豊穣・天下泰平を神さまに熱心にお願いしたのは無理もありませんね。


手筒花火の火柱は5mもの高さまで上がります。


約5万平方メートルもの境内は、杉や檜などの木々が立ち並ぶ深い杜。
写真提供/(公財)しそう森林王国観光協会

【兵庫・宍粟市/伊和神社】
静かな火祭り・油万燈


兵庫県中西部の宍粟市に鎮座する伊和神社(いわじんじゃ)は、播磨国の一宮で延喜の制度では名神大社、明治の制度では国幣中社でした。
伊和神社の風鎮祭は、別名・油万燈と呼ばれ、小皿に菜種油を入れたものを境内に並べて灯りをともす静かで幻想的な祭り。
その始まりは不詳ですが、江戸時代前期には二百十日の7日前におこなわれていたことが知られています。
昭和40年代ころは油や灯心を手に参拝する人があり、今では参拝者がロウソクを持参して火をともすようになりました。
伊和神社の風鎮祭は毎年8月26日。午後4時から神事が執りおこなわれ、夕方から菜種油を注いだおよそ1000枚の小皿に次々と火がつけられていきます。そのころになると、参拝者もロウソクを手に三々五々と訪れ、火をともしてまわります。
1000もの灯明に長く火がつきそろう年は、暴風雨などの災害や害虫などの被害もなく、秋には豊かな実りを迎えることができると伝えられています。
電車の駅からも離れた山間部での夜の神事なので、遠方からの参拝者がほとんど見受けられません。
ご社殿を覆う大きな木々の下、たくさんの灯明が静かに揺らぎながら光輝く風情はまさに幽玄の世界です。
夜9時ごろを過ぎると参拝者も徐々に途切れ、灯りも徐々に消えていき、風鎮祭は静かに終わりを告げます。


小皿と小皿の間に参拝者たちがロウソクを置き、境内は灯りでいっぱいに。
写真提供/(公財)しそう森林王国観光協会 撮影:山本智史


町民が思い思いのテーマで山車を創作し、曳き回す山引き。祭りは夜の花火でしめくくります。

【熊本・高森町/高森阿蘇神社】
町をあげて盛り上がる
南阿蘇でいちばんの
イベント


「〇〇地区の造り物はゴリラ~、材料はたわし、運転手は〇〇村の〇〇、助手席は〇〇~。とくとご覧ください、近づくと噛みつきますよ~」といった名(迷?)アナウンスが入るのが高森阿蘇神社(たかもりあそじんじゃ)風鎮祭でおこなわれる、高森町内イベントのひとコマ。 神社の風鎮祭については、社家・岩下家に伝わる宝暦2年(1752年)の古い祝詞のなかに風鎮祭の記述が残っており、鎮座依頼、重要な祭典として執りおこなわれていたことが記されているそうです。 近代になってから、風鎮祭は神社の神事にとどまらず、高森町あげての大イベントとなり、南阿蘇でも有名な祭りへと成長しました。 風鎮祭は毎年2日間にわたり、2017年は8月18日・19日です。町内5つの地区の町民たちが参加する出し物のメインは「高森にわか」と「山引き」。どちらも町じゅうの軽トラックを動員し、その荷台を舞台にして曳き回す手づくり感あふれるアットホームな出し物コンテストです。 「高森にわか」とは、高森弁でやりとりをする掛け合い漫才のような伝承芸能のこと。軽トラの移動舞台が地区に繰り出し、木拍子が鳴らされ「とざいと~ざい~」と始まり演者が登場。数組がそれぞれ10分ほどの高座を務めます。これは向上会と呼ばれる、地区の青年会の演芸部が主催するもので、「オチは上品か」「高森弁を尊重しているか」「噺はおもしろいか」などを審査します。演者となる町の若者たちは、この日のために練習を積むもやはり素人。多少すべることもありますが、町の観客たちは温かい声援をおくります。 いっぽうの「山引き」は「造り物」と呼ばれる、手づくりの人形を軽トラに乗せた山車を曳き回します。こちらも地区ごとに出来栄えを争うコンテストになっていて、造り物はすべて日用品を使うルールです。全身が茶色のたわしでできたゴリラ、白い園芸用プランターをつなげたキングコブラ、うちわを貼り付けつくったキョロちゃんなど。冒頭のアナウンスは、この山車を曳き回す際に流されるものです。 にぎやかな高森町風鎮祭は、一部で「肥後の三馬鹿騒ぎ」のひとつともいわれています。 しかし、あとのふたつの馬鹿騒ぎがどこのどのような祭りなのかは、誰にもわからないとか。


御神体は健磐龍命、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)など合わせて21柱を祀る高森阿蘇神社。
写真提供/九州神社紀行ブログ